その昔、江戸から日光までの道中に、鹿沼宿という宿場町があった。
元和3年、かの家康公を祀る日光東照宮を建立することとなり、
日本全国津々浦々より腕の良い職人が日光に集められ、
鹿沼宿は日光に最も近い宿場町ということもあり、大いに賑わっていた。
そんな宿場町のどまんなか、麻苧町に、一軒のおはぐろ屋があった。
その店の軒先にはたいそう大きな釜が据えてあり、
いつも「しゅん、しゅん、しゅん」と湯気が立っていた。
店の主人の名は「徳兵衛」
大きな釜が目印の、徳兵衛のおはぐろ屋、ということで
町の人々は親しみを込めて「釜徳」と呼んでいたそうな。
腕の良い職人を集めた釜徳のおはぐろは
町の女性たちに評判を呼び、連日大いに賑わった。
時は流れ、明治2年。
庶民の暮らしからおはぐろの習慣が薄れると、
釜徳は職人たちの腕を活かして、漆器の製造販売を始めた。
釜徳の漆器はすぐに評判になり、再び店に活気が戻った。
文明開化の波は日本全土へ広まり、時代が大きく移りゆく中、
庶民の暮らしもそれまでとは違うものに変わりつつあった。
釜徳は時代の変化を敏感に汲み取り、
従来の漆器に加え、陶磁器を取り扱う陶磁器問屋へと形を変えた。
後に釜徳は、調理道具、ガラス食器、洋食器と次々に手を広げ、
料理人や飲食店など食のプロ御用達の食器・調理道具専門店となり、
現在の「カマトク」へと、つながっている。